『叱られる力』にスキルの伝え方の限界を見た

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阿川佐和子さんが新作『叱られる力』を出版されました。ベストセラーである『聞く力』から2年弱、その続編として書かれたのが本書です。『聞く力』を出版した後多くの取材を受ける過程で阿川さんが感じた、今を生きる人々が抱えている心の内側にある悩みについて語られています。読み終えて私が考えたのは『叱られる』ことの意味についてです。

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タイトル、もうちょっと何とかならなかったんですかね

何の当てもなく書店で本を眺めているときにこの本を見つけました。帯に阿川さんの写真が大きく写っていたので阿川さんの本であることはすぐ分かったのですが、タイトルを見て何が言いたいのかよく分からず手に取ってしまいました。人が話しているのにスマホをいじったり、ダイエット中の人を食べ放題に誘ったり、スーパーのレジで並んでいる人の列に横入りしたり、人をイライラさせる方法ばかり並べているのかと本気で思いましたがそうではありませんでした。言いたいことは、今の時代の人は人を怖がりすぎていて、叱られることにも、叱ることにも慣れていない。人がバランス良く健康に生きるためには肯定的な喜びや楽しさの感情だけでなく、否定的な悲しさや怒りの感情も発散させてあげましょう、と言うことでした。前作の『聞く力』ありきでタイトルをつけたのでしょうが、ちょっとやり過ぎな気が。少なくとも言葉としておかしくない、と言うレベルはクリアしてもらいたいです。

Capability of listening

叱られることを納得しているか

『叱られる力』には叱るのが難しいという上司の話がたびたび出てきます。

”部下に仕事で失敗されて、その尻ぬぐいを私がして、こっちも疲れきっている中で、よかれと思ってエネルギーを振り絞って叱りつけたら『パワハラだ』って言われるんですよ

−中略−

だいたい見所がないヤツは叱らないわけで、期待する人材だから叱るんだってこと、あいつら、わかってないんですよ。”

本文中に出てくる管理職の方の言葉です。この方はテレビ局の記者で新人時代、先輩から厳しく鍛えられて時には蹴られたことも。そんな扱いを受けても「特ダネ一本で見返す」と言う気持ちを胸に秘めて頑張り抜き、特ダネがとれたときには先輩の厳しさのおかげと納得できたそうです。

このようなエピソードがいくつも挙げられて、「叱る側は自信を持って叱りましょう、叱られる側はへこむのではなくそれをありがたいと思って素直に受け入れましょう」という流れで話が進みます。

「褒める」ことで教育するという時代が長く続いてきましたからその反動として、叱ることの意義を訴えることが読者にとって新鮮で伝わりやすいと考えて書かれているかもしれません。しかし、入社直後から常に評価され、年次が上がるたびに厳しく選抜されていく現在の会社組織の中で、叱ることによる教育がどれだけ意味をなすかについては疑問を抱かずにはいられません。

組織の中で昇進を重ねて選抜され続けることを考えると、できるだけ失敗を少なくし堅実に成功を積み重ねることを良しとして行動を選択するでしょう。これは言い換えるとできるだけ叱られないように仕事をすると言うことに他なりません。新しく任される仕事でも、先輩や先に同じ仕事を経験している同僚から話を聞き、一定のレベルで仕事をこなす事が求められるわけで、叱られような仕事をしていては全く話にならないのです。失敗してもそれを糧にして頑張れば将来が開けるというような夢のある物語は今の会社には存在しませんから、失敗したら主要な仕事からは外されて他の人に取って代わられると言うのが現実です。

それでも叱られることの意義を見いだすとすれば、仕事を評価を受ける場ではなくプロフェッショナルとしての学びの場として捉えている場合でしょうか。私がイメージするのは職人の世界の師匠と弟子の関係です。職人として身につけるべき技術を師匠から教わる場合は、教わる方が主体的に技術も師匠も選んでいることから、信頼関係が築きやすく、また、叱られることで失敗を正しく認識し、次の成功に必要なことが明確になり成長を実感できます。このような条件がそろえば、叱られることも、納得して受け入れられるでしょう。

目的を考えれば「叱る」に拘る必要はない

「叱る」ことが成立するための条件を見てきましたが、そもそも叱ることの目的は何でしょうか。もちろん叱ること自体が大事なわけではありません。「褒める」にせよ「叱る」にせよ、その人が今できないことができるようになることが目的であるはずです。とすれば、今の時代に合った方法で、できるようになればいいのではないでしょうか。「叱る」ことにこだわるのはお互いにとって苦痛なのですから別のことを考えましょう。私が最も有効と考えるのは教えるプロから教わると言うことです。上司と部下、同僚、友人間、ではどうしてもそれまでの人間関係が影響して教える方には「わざわざ時間を割いてタダで教えてやっている」と言う甘えが、教わる方には「忙しい中、自分のために気を遣って教えてもらっている」と言う遠慮があります。でもこのような関係はものを教わる環境としては決して好ましくないです。やはり、分からないもしくはできない人は、分からないところ、できないことをはっきり伝え、分かるまで、できるまで習い続けること、教える方は、責任を持って時間内に分かる、できる状態にするための技術と覚悟が必要です。その線引きのために有効な方法が報酬を支払うことです。報酬はある程度多めに支払った方がいいでしょう。中途半端だと緊張感が緩んでしまって教わる効果が落ちてしまいます。教えるプロは自分が無意識にこなしている仕事を洗い出した上で効率的な形に整理して、人に伝えられるように言葉でまとめます。このような整理された情報で教えてもらえれば、教わる方も無駄なく教わることができますし、スキルとして身につけるには練習も必要ですがその練習も正しいやり方を知っているので短期間で身につけることができるでしょう。かつては会社でOJTが成立していたようですが、それでも、本当に効率よくスキルが伝えられていたかは疑問です。現在はそもそもOJT自体が成立しにくいのですから積極的に他の手段を考える方がいいでしょう。

それでも叱ることは必要です

ここまでは、仕事で必要なスキルを身につけることとの関係から「叱る」ことを考えてきました。しかし、躾けの場合などは幼少期に日常の習慣を身につけさせるために親が威厳を示しながら叱ることが求められるでしょう。目的が違い相手と環境が変われば叱ることが必要なのは当然です。

まとめ

長文になり、反省しております。

<おまけ>

最初は「阿川佐和子さんはかわいい」という話にしようとしたはずなのですが、いつの間にかスキルの伝え方の話になってしまいました。でも、いつもこんな感じです。

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