継続のモチベーションと見える化のデメリット

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20歳の頃に始めてから今も変わらず続けているのが走ることです。スポーツは好きでバスケをやっていましたが、運動能力そのものが試される陸上は大の苦手。特に苦痛を伴う長距離走が嫌いでマラソンを志す人たちを異次元の人だと本気で思っていました。そんな大嫌いだったはずの走ることですが、20年を超えて継続しています。継続できた理由の一つは結果を数値化しなかったことにあります。

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「走る=苦痛」を乗り越えるために、ゆるいルールを採用

走り始めたきっかけは大学の体育の授業でした。大学の必修科目として体育がありバレーボールを選択していたのですが授業の最初はランニングでした。徐々にペースを上げて走りますが途中から全くついて行けなくなり、最後は先頭グループから大きく引き離されてしまったのです。高校時代には感じたことのないイメージと体の動きのキャップでした。「このままでは、一気に体が衰えてしまう」と危機感を抱いて体力作りを決意。お金がかからず好きなときにできると言う理由からランを選んだのです。

とはいえ、先述の通り走ることは苦痛ですし大嫌いなことです。以前と同じようにただ走るだけではすぐ嫌になるのは目に見えています。そこで、「走る=苦痛」にならないようにいくつかのルールを決めて始めることにしました。

・距離は関係なくシューズを履いて外に出たら走ったことにする
・必ず音楽を聴きながら走る
・「何キロ」「何分以内」など目標は立てない
・雨が降ったら休む
・「毎日何時から走る」など習慣化しない。走りたいときに走る

など、もう激あま、ゆるゆる、のルールです。ですが、これには効果がありました。特に、「距離は関係なくシューズを履いて外に出たら走ったことにする」は継続のハードルが低くなって「走ること」への気負いがなくなりましたし、「必ず音楽を聴きながら走る」は途中から「音楽を聴くために走る」という手段と目的の逆転がおき、「走る=音楽を聴いて楽しむため」という都合の良い動機付けになってくれました。こうして走ることは苦痛ではなくなり、むしろ楽しいことに変わり、「外に出ればOK」という基準の安心感が継続を容易なものにしてくれて、20年続けられる趣味になりました。

不器用な性格 数字に縛られると楽しめなくなります

このブログでも何度か書いていますが、私は不器用です。手先だけではなく考え方についても同じことが言えます。
一度ルールを決めると何とかしてそれを守ろうとしますし、変えることが好きではありません。柔軟に変更していくのが良いのでしょうが、途中でルールを変えてしまうのは自分に妥協してしまったように感じて負い目になるのでやりたくないのです。そして、ぎりぎりまで頑張ってもう無理だと思ったら潔くやめてしまいます。

自分のこのような性格が分かっていますから、仮に

・最低でも週5日間
・距離は1日10km以上、月刊走行距離は200km以上
・目標タイムは最初の1月は10km50分以内、2月目は10km47分以内、3ヶ月目は44分以内
・6ヶ月後のフルマラソンにエントリー

など、数値の目標を掲げて毎日記録して行くようなことになれば、その目標に到達できなかったときには自分を責めるでしょうし、到達できてしまえばもっと厳しい目標を設定してさらに追い込むようにトレーニングしていくことになるでしょう。
いずれにしても数字に管理されて、数字に強要されて走らされるようになり、走ることが(精神的に)息苦しいものになっていったと思います。

もちろん、毎日のランを記録することのメリットはたくさんあります。ですが、その記録を見返すとき「タイムが落ちた」「走行距離が短くなった」と自分の思い描く走りができていないとつらいものがあります。「そこから走りを改善して元のレベルに戻す」と自分を奮い立たせたり、「そのままの自分を受け入れる」ことで消化できればいいのですが、「これだけやってきているのに、上手くいかない」「衰えた」と挫折を感じる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。高い目標とその達成度を逐一確認する作業を日課にしてしまうと、数字のインパクトの強さに感情が揺さぶられて疲弊してしまうのです。

物事を継続するには相応の喜びや楽しさが必要です。毎日の行動を記録することは向上を実感する喜びも与えてくれますが、後退の事実を突きつけ挫折のきっかけを作る可能性を含んでいます。
苦手なことを始めて継続しようとするとき、細かく記録を残すことはマイナスになると考えています。苦手なことなのですから最初は上手できないことが多く、満足のいく記録が残すことができなくて挫折のきっかけになってしまう可能性が高いからです。少なくとも最初のうちは自分の気分を下げるようなことは見えないようにして、楽しみを見つけることや継続のハードルを下げることに気持ちを砕くべきです。

成果を求めれば見える化は必須 「楽しむ」が目標だから見える化の回避が有効です

誤解していただきたくないのは記録することが悪いと言っているわけではありません。何らかの成果の獲得を目的にした場合はむしろ記録(見える化)は必須です。私も、大学受験、会計士試験、仕事(経営分析、経理効率化)と絶対にやり遂げなければならないことについては徹底して記録を取り、それを元にして現状を分析し、改善を重ね目標達成に役立ててきました。自分にとってそれを達成することが喜びであることが分かっているので、上手くいかない記録すら目標達成のための過程と捉えて消化することができたからです。

一方で「楽しむ」こと「続ける」ことを目標にしたときには見えるかを避けた方が有効です。何を目標とするかによって見える化の有効性が違いますから、自分の目標によって見える化するかどうかを判断しましょう。

まとめ

失うことが苦痛になるような成果を求めるなら「見える化(記録)」で現実を正確に捉え、継続や楽しさを目標にするなら「見える化(記録)」を避けて気持ちが冷めるような情報を遠ざけましょう。
記録も使い方が重要です、自分の性格や気持ちも十分に考慮して使い方を考えましょう。
<まとめ>
また台風が接近しています。激しい風雨が予想されますので、くれぐれもご無理なさいませんように。

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